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「モラルの欠如、アイデンティティの拡散」ってなに?「3年A組」の名台詞を中1の娘に解説してみた

こんにちは、夫のまこるです。

先日、娘がふいにこんなことを聞いてきました。

 

「パパ、アイデンティティってなに? それが拡散するってどういうこと?」

「あと、モラルのけつじょってどういう意味?」

 

どうした娘。真面目か。急にカタカナ言葉使いたくなる年ごろか。

とつぜん始まった、すごい難しい言葉の意味を問う展開。これはいったいどういうことなんだろうと詳しく聞いてみると、

 

「菅田くんが言ってたんだよ。菅田将暉がドラマで言っててさー」

 

ということで、いま中学生がみんな観ている話題のドラマ「3年A組」。

今日はその話題です。

その中でも菅田将暉先生が第1話で言い放った名台詞。

 

「モラルの欠如。アイデンティティの拡散。要は中身が空っぽなんだよ!」

 

という言葉に注目してみました。

 

アイデンティティ」も「モラル」も、なんとなく聞いたことはあるけど改めて意味を聞かれると、なかなかパッと答えられないものです。

とりわけ、中学生にはなじみがない言葉なんですね。

せっかくの名台詞、名シーンも、言葉の意味が分からなければそこに込められたメッセージをきちんと受け止められないなんてことがあるわけです。

そこで、この言葉の意味をなるべく簡単に、

中学生にもわかるように説明してみようと思います。

 

菅田君の言っていることをきちんと理解したい。

知らない言葉を知ってドラマが楽しく観られるようになりたい。

そういう方のためにできるだけ分かりやすく、

うちの娘にも分かるくらい分かりやすく書いてみます。

 

娘の疑問1。アイデンティティってなに?

 

アイデンティティっていうのは、

ずばり言うと「自分が自分であるという感覚」のこと。

自分を自分である認識している、その認識がアイデンティティです。

難しい言葉だと「自己同一性(じこどういつせい)」とも言います。

 

娘の疑問2。自分が自分であるなんて、当りまえじゃない?

 

 娘「え? でもパパ、自分が自分だなんて当たりまえじゃない?」

おおぅ、純粋!我が娘ながら、素直な疑問ですね。

でも、そうした感覚に個人差があることは、

中学生ならイメージできるんじゃないかな、と。

 

たとえば「自分探し」とか「本当の自分が分からない」だなんて、

嘆いたり、悩んだりする人が世の中にはいっぱいいます。

 

その一方で、「自分は自分だ」とか「自分なりの生き方」だとか、

堂々と自分が自分であることを貫くタイプの人もいます。

 

つまり自分を自分だと思う感覚には、人によって程度の差があります。

 

その感覚をしっかりと持っていることを

アイデンティティの確立(かくりつ)」

という言葉で表すのだそうです。

 

娘の疑問3。アイデンティティが拡散するってどういうこと?

 

じゃあ、菅田将暉先生が言っている

アイデンティティの拡散」

ってなんでしょうか?

 

これは結論から言うと

アイデンティティの確立」の反対の意味の専門用語です。

 

確立の対義語=拡散。

アイデンティティという言葉が前につくと、

確立と拡散は対義語(対(つい)になるの言葉の組み合わせ)になります。

 

★かんたんなまとめ★ 

・自分を自分だと認識する感覚=アイデンティティの確立

  ↓ ↑

・自分を自分だと認識できない感覚=アイデンティティの拡散

 

菅田将暉のセリフの半分はこういう意味です。

「お前たちは自分を自分だときちんと認識できていない!」

 

おおー、なるほどー。

ちょっと分かってきたぞ。

 

続きます。

 

娘の疑問4。モラルってどういう意味

 

じゃあ、モラルってなに?

これは「いいことと悪いことを見分ける感覚」のことです。

道徳観とか、倫理(りんり)とか、難しい言葉に置き換えられますが、

中学生に伝えるなら「モラル=善悪に対する正しい考え方」と言えばよいでしょうか。

 

娘の疑問5。モラルの欠如ってどういうこと

 

で、菅田将暉の言葉につながります。

モラルの欠如とは、つまり

「いいことと悪いことの区別をつける感覚がない」

状態のことですね。

 

娘の疑問6。中身が空っぽって

 

 菅田将暉先生はこう言っています。

 

「モラルの欠如。アイデンティティの拡散。要は中身が空っぽなんだよ!」

 

ここで一度整理しましょう。

 

モラルの欠如=善悪の区別がつかない状態。

アイデンティティの拡散=自分を自分と思えない状態。

 

でしたね。

 

で、誰が誰か分からない状態では、

悪いことをしても、誰が悪いのか分かりません。

さらに、誰が悪なのか、探そうともしなくなるでしょう。

善悪の基準がなくなり、個人と集団の境目があいまいになってしまうと、

罪に対する個人の責任が、問いづらい状況がうまれます。

誰も責任をとらない。

誰も責任をとれない。

誰もが無責任だらけの状態。

つまり、空っぽ、なわけです。

 

中身が空っぽ=無責任である。 

 

ここまでをまとめると、

 

3年A組の生徒たちは、善悪の区別をつけられず、自分を自分と思う感覚もあいまいだ。そういう奴は、個人としての責任ももっていないのである、と批判しているわけです。

 

娘の疑問7。要するに、先生はなにが言いたかったの

 

最初はミステリアスなセリフだったこの

 

 「モラルの欠如。アイデンティティの拡散。要は中身が空っぽなんだよ!」

 

話数がすすむにつれて、さらに

 

「匿名性(自分の名前をふせて、まわりから誰か分からなくしている性質)」

「集団の心理(たくさんの人のなかにいる時特有の気持ち)」

SNSでのいじめ問題」

なども、

お話のテーマになっていることがだんだん分かってきました。

 

それらを総合して考えると、

菅田将暉先生はこういうことが言いたいのではないでしょうか。

 

 

「たくさんの人といる時の匿名性が善悪の区別をつけづらくさせたり、自分を自分だと思う感覚を失わせ、個人としての責任をあやふやにしてしまっている。それは良くないことだ。だからこの教室で考え直せ」

 

学校のクラスという集団はもちろん、

スマホアプリでの不特定多数の人間関係や、

あるときは家族のなか、または学校以外のグループなど、

実にいろいろなところで、

現代人の「自分を自分と思う感覚」や「善悪の区別」は損なわれるおそれがあります。

それは改めて考えてみると、危険で、

よくないことなのかもしれない。

見落としているだけで、誰かを傷つけているのかもしれない。

 

匿名ゆえの善悪の欠如。

集団ならではのアイデンティティの拡散。

そして中身が空っぽになっていくこと。

それは、罪なのかもしれません。

 

まとめ

 

いかがだったでしょうか?

言葉の意味をひとつひとつ丁寧に見ていくと、

ドラマが伝えようとしているメッセージがより深く分かってきますね。

 

菅田将暉のメッセージが突き刺さるのは、

いまどきの若い子ばかりとは言えません。

大人も、子供も、誰もが自分のことのように感じる心をえぐる批判。

だからゾクゾクするし、ハッとさせられもする。

考える機会をくれるドラマ。

最新話が毎週楽しみです。